『ヒミツ』第11巻 45 子たち1

2025.04.23 その他

45 子たち1

人類はひとしく、みながみな神々の子。

大いなる宇宙の一部であり、悠久な生命の大河の一部。

欠けていい者など一人もいないし、過去に死んだ人なんて一人もいない。

みながみな、永遠かつ高貴な魂たちなの。

けれど、一時的にまとっている肉体はそうではない。

だから、自分と肉体を同一視する人々は死におびえ、

己の無力さを嘆き、生き残りたい、お金が欲しいと必死にもがく。

殺伐する。

他人が悪いと、文句ばかり言いながら。

他責の生き方ね。

他方で、自分の本質が魂にあると気づいた人々は、

死とは肉体を脱ぎ替える行為であり、

毎日やっている着替えの長いバージョンにすぎないと知る。

授かったこの肉体に感謝しつつ、「与えられた条件の範囲で、

自分にはなにができるだろうかゲーム」に取り組んでるの。

生き方が、まるで違うのよ。

凸も凹も、笑いも涙も、浪花節もあるけれど、後者の人々には、

《自分劇場》を自分なりにどう生きるかって、テーマがあるわ。

自責のテーマがね。

筆者が提唱しているのは、「ゴールインしながら生きる」という生き方。

多くの人は、遠くにゴールを設定し、

それを目指して努力し、がまんし、がんばっていこうとする。

その場合、反射的効果として、「まだ未達の現在」、

「不十分ないまの暮らし」「劣っているこの自分」などを招来しやすい。

仲間へのダメ烙印、上司への不満ジャッジとかもね。

そうじゃなくて、「すでにゴールインしたいま」を前提に置くのよ。

「十分足りているんだけど、もっとよくするにはどうしたらいい?」

「もともとおもしろいけれど、さらにおもしろくするにはどうしたらいい?」

そう問いながら、生きるのよ。

今回の肉体をもちいて生きる人生において、

すでに得るべき職業は得ている。

すでに得るべき伴侶も子も得ている。

すでに協力すべき仲間も与えられているし、

すでに担当すべき役割も予算も与えられている。

それらはすでに十分なものであり、感謝しているけれど、

さらによくする余地はあるので、それこそが自分の役割なんだ、って

考えるの。

それが、「ゴールインしながら生きる」という生き方。