『ヒミツ』第8巻 42 あたらしい暮らし3

2024.01.11 その他

42 あたらしい暮らし3

「あたらしい暮らし」の特徴は、それぞれ異なった道になる、ということ。

家族でも。

恋人同士でも。

親でも兄弟でも、夫婦でも。

もちろん、社員間でも。

人にはみなそれぞれに固有の「心の傾き」があり、

異なる行動選択の基準がある。

同じ釜の飯を食べてたとしても、一つ屋根の下に暮らしていても、

同じ船に乗っていたとしても、血を分けていてさえ、

それぞれ異なった行動選択を行っている。

それが、加速していくの。

各自の広大な無意識空間はね、まったく異なった

各自の広大な現実空間を創造していくのよ。

・・・っていうか、それはもともと異なっていた。

ただ、肌の色や瞳の色も似てるし、顔つきや言葉も

時代を同じくする価値観もそこそこ似ているので、

みながみな、だいたい他人も同じだろう、と錯覚してただけ。

日本の場合、同調圧力も共有してるしね。

けれどこれからは、類似性よりも相違性の方が顕著に表れてくる。

波動が低く、現実創造力が低かったころは問題にならなかった

問題たちが、徐々に噴出して来るようになる。

連続した「異なる選択の結果たち」が焦点をはっきりと結びはじめ、

具体的な方向性を持った経験が頻発するようになり、

「その人に固有な心象世界」の具現化が加速していくのよ。

その人の現実は、その人の「内面の投影」としての性格が色濃くなっていく。

その究極の姿が、死。

何度も書いているけれど、いまはすでに、

第二次世界大戦中よりも死者が多いんだった

事実として、筆者の家庭からも昨年は死者が出た。

母が亡くなったの。

あんなに健康で、元気いっぱい、長寿の家系なのに、

アレを接種して以降急速に体調が悪化していったわ。

筆者の忠告になんか、耳を貸さない。

ヒマなので一日中TVばかり見ており、

あの期間、これでもかとつづく連日の恐怖報道に押しやられる形で、

3回も4回も、自ら進んで接種会場へ足を運ぶ、という選択をしていた。

筆者は2度、郵送されてきた無料接種券を隠したり捨てたりしたけれど、

「届いてないんですよね」って、わざわざ役所に電話してまで

積極的に打ちに行ってたの。

特に父の「不安の内面化」が著しく、転んではケガをし、

事故を起こしては骨折し、数百円をケチった結果半日失う、

なんてことを日常的にくり返していた。

母も同様で、3回も泡を吹いて倒れ救急搬送されてるというのに、

「先生たちは、みんな親切だから」と、毎月マーケット袋いっぱいの

強い薬をもらってきては、喜んで飲んでいた。

現代医療の残念な現実について何度説明しても、聞かなかった

老人にかぎった話じゃないの。

医療にかぎった話でもない。

多様な側面で、多様な機会に、それは起こる。

本人が自ら選択していくの。

各自の無意識世界のあり方が、こんなにも意味をもつ時代って

過去に類例がない。

だから筆者は口酸っぱく、中庸を保つことの重要性を説いてるわ。

感謝の気持ちの大事さも。

意識のフォーカスを、「たのしいマイプロジェクト」に

向けつづけることの意義も。

選択肢は、大きく言うと2つしかない。

取り組むか、取り組まないか。

一般に生物は、まずは肉体的な進化が先行する。

人間は、当然に、魚や猫やトカゲなんかよりも、

肉体的にはるかに進化している。

けれど、ひとたび人間レベルの知性を獲得したなら、

進化の主軸は「心の修養」という側面の方が大きくなる。

経験から何を学ぶか。

それを、その後の生き方にどう生かすか。

他人を許せるか。

奪い合いから出発した厳しさと、愛から出発した厳しさの

違いを見分けることができるか。

「被害者」を卒業できるか、等々。

最初は「自分のこと」が学びの中心になるけれど、

進むほどに「他人とはどうか」が増えていき、

やがて「他の生命に対してはどうか」、

「生命系全体についてはどうか」というふうに変わっていくの。

肉体による個別の物理経験から、意識による「意識経験」の方に、

そしてさらには「意識系」全体へと比重が移っていくのよ。

それが、「集合化」という進化の道程。

意識的にそれに取り組んでもいいし、取り組まなくてもいい。

それは、各個体の選択にまかされている。

どちらを選ぶのも自由だけれど、

その結果は、過去の人生とは比べ物にならないくらい

大きな変化を、今後の人生に生み出していく。

この機序を、うまく活用してね。

家でも、会社でも。